長尾弘先生から学ぶ心の勉強会

組織を作ることを否定した長尾先生の功績を縁ある人と共有したい

やさしさに包まれたなら byユーミン

「ち〜ぃさい頃は♪神様がいて〜♪」

と言うフレーズで聞き覚えのあるユーミン

「やさにさに包まれたなら」を昨夜改めて聴きました。

 

長尾弘先生の教えに出会って

【神癒】という奇跡の癒しがあると知って

これをやってみたいと思いました。

 

神癒は何も技術的なことがありません。

むしろ、全てを神に委ねることが必要で

これが現代人に取ってはとても難しいのです。

 

金儲けを考えなが神癒は出来ません。

地位が欲しいと思っていて神癒は出来ません。

迷いがあっても悩みがあっても

不足があっても怒りがあっても神癒は出来ません。

 

だから治療家が

「患者の為に」と思っても

難しいと思います。

それは一見すると人様のためですが

するという欲があるから。

 

だから私はとても苦労しています(苦笑)

 

そんな中

この曲を教えてくれた人がいました。

もちろん、誰もが聞いている有名な曲ですが

今、この時点で聞くと

この曲が真理を教えてくれることに気づきます。

 

そう。

子供の頃は神さまがいつも一緒に居たのです!!

だから、神癒は簡単で

幼子になれば良いということになります。

 

しかし・・・

ここからがスタートですねぇ(笑)

 

 

雑記

以前、斎藤一人さんの本を読んだ時

「貧しい心のまま、成長するとそれがどんどん大きくなる」

と言うような意味の内容があったと記憶しています。

 

もう少し具体的に書くと

例えば、お金に関する癖で

子供の頃は百円小遣いを貰っても

いつも十円足りない人は

大人になって100万円収入があっても

10万円足りないといったことが起きるとか。

 

これはお金だけでなく

自分の容姿とか性格に関しても同様で

鼻が低くて自分の顔が好きでないとか

目が一重だから自分の顔が好きでないとか

 

そういう不満があると

その不満は段々と拡大してゆくと言います。

 

要は、何事も豊かな心から発したものでないと

幸せにはなれないのでしょう。

 

私は最近、毎日掃除機を掛けています。

それは、誰に命じられた訳でもなく

ただ、心の掃除をしているうちに

体が勝手にそうしていないと気が済まないようになったのです。

 

掃除機を掛けると

「何だか空気までもが澄むような気がする」と伴侶は言います。

私もそれを聞いて嬉しいです。

 

これも昔、会社の経営者に聞いた話ですが

人間のセンサーはとても優れていて

ミクロン単位の塵でも、無意識に捉えるのだそうで

だから、老舗の長く続いているような会社やお店は

掃除を徹底してやるのだとか。

 

そういえば、神社仏閣も掃除を日課としていますね。

 

話は戻りますが

不満や欠乏感から何かをすると言うことは

良くあるのだと思います。

 

例えば、貧乏だから

頑張ってお金持ちになりたい。

 

仕事をより完璧にするために資格を得たい。

 

寂しいから友達を作りたい等々。

 

これらは皆自分自身の経験です。

 

もう全て過ぎたことなので

今更、どうこうと言うことはありませんけど

 

あの頃は欠乏感の塊でした。

 

しかし、今は全て愛おしいと思うのです。

 

全く、お金持ちでもないし

世間的に認められるような地位もないし

見た目は、只の初老のパッとしないオヤジですが

「よく頑張ってここまで来たなあ」

といった感じでしょうか。

 

何だか、欠点も全部ひっくるめて

自分という唯一の存在を認めてあげたい。

 

お陰様で、心はとても穏やかです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イエス・キリストと釈迦の教え

イエス・キリスト

聖書を書けと言った訳ではないと思います。

釈迦は

お経を書けと言っていないと思います。

 

しかし、後世に残そうと

弟子たちは、その教えを書き残しました。

 

だから、キリスト教も仏教も世界に拡がったのでしょう。

しかし、一方で弊害もあったのだと考えられます。

 

私は若い頃から宗教が嫌いでした。

何故なら、○○をしてはいけない。

○○をしなくてはいけない。

と雁字搦めで窮屈です。

 

おまけに、お布施をしろ

教えを広めよと強制されるのが嫌でした(苦笑)

 

しかし、長尾弘先生の教えに接してみると

そんな窮屈には感じませんし

煩いとも感じません。

 

先生は「あなたたちは幸せに生きなさい」

そのためには、こうすれば良いと教えているだけです。

 

恐らく、イエス・キリスト

釈迦もそうだったのではないでしょうか?

 

私は、最近

次々と、閃きが起きて

今までにないことが起きてきています。

 

特に、「取り越し苦労」をしなくなりました。

それにより、不安とか恐怖も無くなりました。

 

巷では「今に生きる」という大切さが

拡がってきていますが

この今に生きる上で

取り越し苦労や不安、恐怖は

大変邪魔をしていたことにも気づきます。

 

そして、今を生きれば生きるほど

神に近づくのだと思います。

 

 

 

 

「塵を払います。垢を落とします」周梨槃特

周梨槃特

或いは、チューダ・パンダカと言われた方が

お釈迦さまの十大弟子の中にいらっしゃるそうで

私も、何となく聞いたことがあったのです。

 

その方は記録力が著しく低いため

お釈迦さまのおっしゃることを全く覚えられなかったそうで

一旦は弟子入りしたものの

ついに諦めて弟子を止めようとしました。

 

しかし、お釈迦さまに

「自分が愚かであると知っている者は賢者なのだ」

と諭され、お経を覚える代わりに

「塵を払います」「垢を落とします」

と唱えながら掃除をするように言われます。

 

それから何十年もの間

毎日欠かさず周梨槃特はせっせと箒で掃きながら

「塵を払います」「垢を落とします」と唱え続け

やがて彼は悟りに至ります。

 

このことから、人が悟りに至るのに

難しいことを覚えたり

難しい修行が必ずしも必要でないことが分かります。

 

長尾弘先生も簡単なことしか

おっしゃいませんでした。

「毎日その日の反省をしなさい」

つまり心の塵を払いなさいと言っているのですね。

 

因みに、阿羅漢となった周梨槃特は

ある時、お釈迦さまから比丘尼のもとに

説法をしに行くように命じられますが

見事な説法を行ったという話が残っています。

 

簡単なことでさえ覚えるのが困難だった周梨槃特が

何故、立派に勤めを果たすことが出来たのか?

それは心の垢が綺麗に掃除されたから

御仏の光がそのまま彼を通して説法されたのだと想像します。

 

掃除

最近、昔学んだ本や講習会の資料を読み返しています。

 

誰でも思うでしょうが

私も若い頃に読んだ印象と

今の印象では随分と違っています。

 

特に若い頃は

「○○のようになりたい!」という

良く言えば向上心

悪く言えば自己顕示欲の塊で

学んでいたので

見えていないものがあったように思います。

 

世の中は理不尽で

何一つ思い通りに行かない

そう感じていましたから

仕方ありません。

 

今は、本当に興味のあることしかしていません。

その中で出て来たのが

昔読んだ本の読み返しであり

もう一つは、面白いことに『掃除』です。

最近、気づくと掃除をしているのです。

 

因みに、今の掃除機はよく出来ていて

センサーがついているので

塵が少しでもあると赤く点滅します。

でも、良く見ると毎日掃除をしているのに

赤い点滅がなくなることはありません。

 

ただ、私自身、元々綺麗好きと言う訳ではなく

掃除は汚れを感じてからすれば良いと考える程度でした。

 

では、何故掃除を率先してするようになったのか?

原因の一つは

息子が何故か夕食の後の食器洗いを

毎日欠かさずしてくれるようになった事。

(理由はわかりませんが、両親が歳を取ってきたと思ったのかもしれません)

 

それと、長尾弘先生の「自己を見つめる」に倣い

毎晩、寝る前にそれを読み

少しの間、瞑想をするようになったからかもしれません。

 

「例え悟った人でも、気が付かないうちに心の雑草は生えるのですから

毎日、自分の心の草刈りをする必要があります」

と先生はおっしゃっていましたから

心と同時に身の回りも

掃除をするのは間違っていないでしょう。

(ウチはルンバがやってくれると言う人もいますかね。苦笑)

 

多分、私自身は努力はしていません。

自然に体が動いてしまう

と言うのが実感ではあります。

 

 

 

災い転じて福となす

世の中には

笑う時には笑い

泣く時には泣き

怒るとには怒り

悔しかったら悔しがる

 

そういう喜怒哀楽があるのが

人間らしくて良いと言う方がいます。

 

私も概ねその意見に賛成で

人間に喜怒哀楽があるのも

神さまが人間に与えて下さったギフトだと思います。

 

ただ、それも自らコントロールが出来ればこそで

暴走して、社会生活が成り立たないほど

極端であれば話は別です。

 

もしも、自分の目の前に現れる現象が

幸せでないと思うのなら

物事を正しく見る(仏教の正見)

ことが大切だと思います。

 

さて、幼少期から青年期まで

散々な経験をしてきて

それが、幸いして(今思えばですが)

私は『心』の扱いの重要性に気づきます。

 

長尾弘先生の教えも

恐らく、普通に生まれ育ち

なんの苦労もなく人生を謳歌していたら

決して巡り合わなかったでしょう。

 

そう言う意味で

「災いを転じて福となす」

という諺を実感しています。

 

所で、こうして思うままに書くと

色々と意図しなかったことに気がつくので

面白いと最近は思い始めています。

 

例えば、催眠・暗示について書きましたが

自分自身に自己暗示を掛けることが出来れば

とても便利ですね。

 

これは、所作と合わせることで可能ですし

毎日、口癖にすると言うのもありです。

例えば、あの斎藤一人さんの

「ついてる」

と言う言葉もそうでしょうし

「ありがとう」

などの天国言葉はとても強力だと思います。

 

ただ、これを更にパワーアップするのなら

あなたの隣人に暗示を掛けるとよいでしょう。

 

つまり、あなたの身近な人に

「あなたは素敵な人だ」

「あなたは健康で魅力的だ」

「あなたは優しい」

「あなたは経済観念がしっかりした人だ」

と暗示を入れたとしましょう。

 

そうすると、どんなんことが起きると思いますか?

その人はどんどん幸せになり

それを見ているあなたの○○も深まるです。

 

ですから、一人で幸せになるより

周りの人と一緒に幸せになる方が

パワフルで、実は簡単なのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心の呪縛

ここ何回か夢の実現について書きました。

 

催眠術と言うと

かなり多くの人が誤解して居るようです。

恐らく、テレビなどで派手な演出をして居るのを

見ているからだと思います。

 

実際は、かなり印象が違います。

催眠を掛けられている時に

別に、夢遊病者のように意識がなくなったり

別の人格が出てきたり、といったことは殆ど稀で

通常の意識状態と殆ど変わりません。

(間違っていたらごめんなさい。あくまでも私の体験からです)

 

日常生活の中にも催眠状態は起こります。

問題は、通常はバリアが張られている無意識の領域に

ふとした瞬間に暗示が入ってしまうこと。

 

特に親は子供に対して注意深く接する必要があります。

ラポールが強い親だからこそ

何の気なしに(これが一番門題)「まったく、馬鹿なんだから」「産まなきゃよかった」

と言った一言が、子供の人生を台無しにしてしまう可能性があるからです。

 

後から、潜在意識の深い所に入った情報(暗示)を

意識の力でなんとかしようと思っても難しいのです。

私も多くの間違った暗示によって苦労をしました。

その暗示の多くは幼少期に受け入れてしまったものです。

 

しかし、心の奥深くに入ってしまった

好まざる暗示も、この世の現象として現れて来ます。

例えば、私の場合は

鍵を忘れて、家の者が誰もいなくて家に入れない時

異常に不安と恐怖に駆られます。

 

また、常に先を読んでいないと居られないたちで

先を読み過ぎて、不安と恐怖が付き纏います。

 

未だ未だ、他人が見れば「どうかな?」と思うような

癖があるのですが、これは幼少時に心に入れた

暗示によるものだと考えられます。

 

長尾弘先生も、色々な癖があって

それを治そうと、その癖をノートに書き出して

常に持ち歩いたそうです。

 

また、10歳くらいまでの反省をすることが

とても大事なことだとおっしゃっています。

 

但し、反省と言っても

自分を苦しめてはいけませんから

当時のことを冷静に俯瞰してみることが必要で

間違いは正すとしても

幼い自分が健気に頑張っているのなら

それを認め抱きしめてあげることも大事なのだと思います。